「3.11以後の建築」展@水戸芸術館現代美術ギャラリー

旧知の建築家の方から招待券を譲っていただくというご厚意に預かり、2015年11月7から水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催されていた「3.11以後の建築」展を、スケジュールの都合をなんとか合わせて会期末に観てきました。

展覧会の趣旨としては、名前の通り、2011年3月11日に発生した東日本大震災を受けて、建築家の建築に対するアプローチがどのように変わったのか、21組の実例を通じて問いかけよう、というものでした。

建築学を専攻していた身として、例えば卒業設計ひとつをとっても、デザインのあり方やその背景にある個人としての理念、こういう風に使ってもらえばいいんじゃないかという思いを、いわば一方的に図面やプレゼンテーション上に表わしていたような記憶があります。要求仕様を勝手に想定して、それをデザイン化していっていたので。もちろんデザイン化の過程において教授や研究室の先輩や同級生達とのレビューの場はありましたが、施主が存在しないので、ああしたらいいんじゃないか、こうしたらいいんじゃないかということをデザインする立場として議論していたような気がします。

「3.11以後の建築」展

「3.11以後の建築」展

卒業以降も書籍や実際の空間を通じて建築家の作品というものに触れてきましたが、施主という使い手の存在があり、当然施主と建築家との間で空間の使われ方や求められている要件が存在していて、それを実際の建築物として具現化するというプロセスが存在することは認識していましたが、それがパブリックになる際に、建築家の理念やデザインのあり方の方がどうしても前面にインプットされてしまい、使い手がどのようなものを求めていたのか、それが実際にどのように使われているのか、そのプロセスを含めた部分が、なかなか見えてこなかった部分があったんだな、ということに振り返りという意味合いで気付かされました。

作品の中では坂茂さんの、東日本大震災発生後の避難所生活におけるプライベート空間確保のための仮設パーティション構築事例はなるほどと思わされました。完全な外部調達資材としては、板さんのお家芸でもある紙管のみで、パーティショニングに必要なその他の資材はガムテープ、布、安全ピン(!)といった調達がたやすいものといった具合で、それらを組み合わせることにより、避難所の「使い手」である、避難されていた方の「集団生活の中でも少しでもプライベートな時間が欲しい」というプリミティブな要望を満たしていたわけで、単純に区切られた真四角な領域でも、立派に空間として成り立っていたことです。また同じく坂茂さんの事例としては、東日本大震災の1か月前、ニュージーランドのカンタベリー地震で倒壊したクライストチャーチ大聖堂の代替とする聖堂の計画と作品。半仮設という前提はありながらも、祈りの場として使い手から何が求められているのかをヒアリングし、シンプルでありながらも明快な解決方法によって具現化したもので、とても興味深く見させてもらいました。

その他様々な事例が展示されていたのですが、そのどれにも共通していたのが、「使い手」という現場に寄り添う姿勢と、プロフェッショナルとしての上からの目線が、うまくマッチングしているなという点でした。多分そのバランス感覚のどちらかが不均衡になってしまうと、最終的にみんながWin-Winな成果と満足を得られるものは、なかなか上手くはできないのかなと。これはきっと、建築の世界に限らず、様々な業種の仕事にも通じることなのではないかと思います。

同時に、デザインというものの本質が何なのだろうかという永遠の問いかけのようなものも浮かび上がりました。単純に美しかったり格好良かったりするものは、芸術的な視点では高評価されるのかもしれませんが、それが「実際に使われるもの」として果たして正解かどうかというのは、必ずしもマッチングしないのではないかということです。この点は常に頭の片隅に入れておかなければいけない問題なのかもしれません。

建築という切り口ではありましたが、それを媒介として、自分が普段取り組んでいる様々な課題に関しての勉強の場となり、また考えるきっかけを与えてくれた展覧会でした。

vlayusuke について

Violaを弾く。千葉県の東の端の方にある街のオーケストラで活動中。 好きな街は、Berlin、München、Wien、Barcelona、福岡、神戸、芦屋、金沢、横浜。
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