日本住宅公団 西長堀団地

建築学科卒でありながらも、住宅団地や整備された計画都市の秩序のある姿はとても好きで、多摩ニュータウンや東急多摩田園都市の街並みは、散策を兼ねてよく歩き回っていましたし、結婚後の一時期は、海辺に近い住宅団地に居住していたこともありました。

学生の頃はポストモダン全盛期だったので、モダニズムやそれに紐づく都市計画に対して、周囲の意見は比較的冷暖だったのですが、もともと好きだったのだから仕方がありません。

そんな、現在のUR都市機構が手がけてきた住宅団地の中で、「西長堀団地」という建築物の存在を知ったのはつい最近、よりによってURの関西支社が手がけたEspeciaに関する記事だったのですが、よくよく調べてみると戦後の住宅都市開発の中でもとても重要な役割を担っており、しかもそれがきちんとリノベーションされて存在していることに興味を感じ、サクッと飛行機に乗って観に行ってきたのでした。

  • 7/8(Sat) NH032 HND 12:00 → ITM 13:05
  • 7/9(Sun) NH040 ITM 15:00 → HND 16:15

天満橋のホテルで荷物を預けて谷町線に乗り、谷町六丁目で長堀鶴見緑地線に乗り換えて西長堀へ。長堀通の「鰹座橋」交差点を渡ると、その巨大な住宅は存在感を持って目の前に鎮座していました。

ここからは写真でどうぞ。

西長堀団地 新なにわ筋に面した東側ファサード

西長堀団地 新なにわ筋に面した東側ファサード

西長堀団地 開口部が特徴的な北側ファサード

西長堀団地 開口部が特徴的な北側ファサード

誇らしげな「日本住宅公団」の文字

誇らしげな「日本住宅公団」の文字

西長堀団地 エントランス部のモダンな壁画

西長堀団地 エントランス部のモダンな壁画

西長堀団地 住居部1階廊下。ブロックが効果的なスリットになっている

西長堀団地 住居部1階廊下。ブロックが効果的なスリットになっている

西長堀団地 住居部外観を東側から

西長堀団地 住居部外観を東側から

西長堀団地 住居部外観を南側から

西長堀団地 住居部外観を南側から

西長堀団地 住居部外観を中庭西側から

西長堀団地 住居部外観を中庭西側から

西長堀団地 西側ファサード

西長堀団地 西側ファサード

外見的にはとても無機質な印象を受けるのですが、1958年の竣工にもかかわらず、モダンあ要素を大きく取り入れた都市型住居としては、とても先進的な造形だったように考えられます。

それが耐震補強工事とリノベーションを行うことによって、新しい風を吹き込まれ、「古くて新しいステキな住まい」として存在感を放っているところが素晴らしいです。

エントランス部には中庭に面してウッドデッキなども設えられており、都市の中でいかに住まうのかという新しい提案をしているように見受けられます。

リノベーションは現在最終段階に入っており、秋には竣工となるとのこと。老朽化した郊外の住宅団地が次々と建て替えられていく中で、その建築物が持つ「良さ」を引き出すためにあえてリノベーションという方針をとったのは、純粋にこの建築物が有名であるから、ということだけではなく、潜在的な魅力を持っているからなのだと思います。

見学にあたって、特に咎められるようなことはなかったのですが、ほぼ満室の良物件なだけに居住中の方が非常に多いので、節度を持った見学をお願いします。101号室が販売センターになっているので、一声かけてから見学させてもらうと良いと思います。

カテゴリー: 未分類 | タグ: , | コメントする

春の音楽茶話会@MFYサロン

私にはViolaの師匠が、事実上3人います。大学オケではViolinパートのトレーナーとしてご指導いただいた傍ら、個人レッスンではViolaの稽古をつけてくださっていた、日本フィルハーモニー交響楽団のViola奏者であった新井豊治先生。日本フィルハーモニー交響楽団、群馬交響楽団で活躍されてきた畏れ多い存在でありながら、大学オケ時代にはベートヴェン 交響曲第9番 ニ短調 作品125を演奏することになった際に、個人レッスンを引き受けてくださったり、様々な形で強い後押しをしてくさだった、故・滝沢達也先生。東京都交響楽団で活躍され、大学オケではViolaパートのトレーナーとしてご指導いただき、プライベートでも交流をさせていただいているI先生。

一介の下手の横好きなViola弾きにはとてもじゃないけど勿体なさすぎる方々に支えられて、今でもなんやかんやとViolaを引き続けています。

3師匠のうち、新井豊治先生は「音楽茶話会」と題したアンサンブルコンサートを四半期に1回、根津美術館の側にあるMFYサロンで開催しており、何度か聴かせていただいているのですが、今回はJ.S.Bachのゴールドベルク変奏曲を全曲演奏されるということで、これは聴きにいかないわけにはいかないぞ、ということで、聴きにいってきました。

J.S.Bachの膨大な楽曲の中で、変奏曲と呼ばれているものは非常に限られている、という程度の知識は持っていますが、ゴールドベルク変奏曲も、そういえばそういう名称がついているんだな、と思い出した程度で、その背景となっている部分については全く知りませんでした。

音楽茶話会での演奏風景

音楽茶話会での演奏風景

音楽茶話会は、楽曲が作られた背景や曲の構造を新井先生が解説してくださり、その後に演奏をするというスタイルです。その中で、ゴールドベルク変奏曲がどのような背景で作られ、どのような構成になっているのかを説明してくださるのですが、この変奏曲の構成の緻密さ、フーガの形式が31曲の中でどのように変化していくのか、逆行フーガの意味、初めて耳にすることが多くて勉強になるばかり。J.S.Bachの楽曲の中に幾何学的だったり、数学的な要素が多分に含まれているなという印象は、彼のオルガン曲を中心に聴きこんでいく中でそのような印象を強く持っていたのですが、今回の解説を通じて、構成の緻密さがよくわかりました。

そしていざ演奏に入るわけです。今回は、現在日本フィルハーモニー交響楽団で活躍されている、Violinの九鬼明子先生、Violoncelloの伊堂寺聡先生、そして新井先生のトリオでの演奏です。変奏される通奏低音のヴァリエーションの上で、曲ごとに全く異なる主題が演奏されるという展開の豊かさに加えて、通常であれば不協和音に該当する主題の重なりが何故か調和して聴こえるという不思議さ。もちろん、分析すれば調和する理由は分かるのでしょうが、とにかく耳に心地よいわけです。3曲ごとに出現するフーガの存在が、聴くものを飽きさせません。全曲演奏すると1時間に渡るので、時間としては一般的な交響曲よりも長いのですが、様々な曲のヴァリエーションを楽しんでいるうちに、1時間があっという間に経過してしまいました。やっぱりJ.S.Bachってすごい。

新井先生のViolaの音色だけでなく、腕の動かし方や姿勢についてもじっくりと見させていただきました。最近自分が楽器を弾くときの姿勢のおかしさがどうも気になっていて、それをなんとか直したくて腕の動きについては修正をかけているところなので、構え方、Up Bowになるときの腕の動きなど、特に注意して拝見しました。そして思ったのは、うーん、ViolaってG線とC線がしっかり響いて初めてViolaらしい響きが出るんだなということ。実際楽器を鳴らすのって大変なわけですけれども、この下の2線をしっかり慣らしていくことができるように精進しなくては、と思ったのでした。

大学オケの先輩や後輩とも顔をあわせることができる貴重な機会でもあったりして、新井先生と僕らとを繋ぐ大切な糸の存在でもあり、また普段はなかなか聴くことのできない弦楽アンサンブルをじっくり堪能できる機会でもあるので、これからも都合のつく限り、聴きにいこうと思います。

 

カテゴリー: 未分類 | タグ: , | コメントする

VIVD SOUND LIVE / HOSHINO MICHIRU & WAKITA MONARI@LOUNGE NEO

年度替わりのドタバタ仕事を乗り切るために何を楽しみに頑張ってきたかって、このライブを聴きに行くことを人参として鼻先にぶら下げていたようなものです。

星野みちるさんと脇田もなりさん。師匠ともったん。

星野みちるさんのことはかねがね噂には聞いていたのですが、今回が初見でした。プロフィールもぼんやりとしか知らず、というか、過去の経歴云々よりも「いま」の姿が見てみたかったし歌も聴きたかったので。

感想として何よりも最初に思ったのは、

なんだか美味しいお水をたくさん飲ませてもらったみたい。

ということ。

2マンライブなので、星野みちるさんパートと脇田もなりさんパートに分かれるのかなと思っていたのですが、脇田もなりさんが3曲歌い、間髪入れずに星野みちるさんにスイッチして3曲、再び脇田もなりさんにバトンタッチという形で約2時間ほぼノンストップ。ふたりが入れ替わるたびに世界観が変化して、それでいて歌を大切にしている姿が共通しているのがとても感じられて、多幸感溢れるというか。会場の雰囲気も、適度に盛り上がりつつもみんながみんなそれぞれに二人の歌声を楽しんでいる感じで、暖かみがありました。

星野みちるさんと脇田もなりさん

星野みちるさんと脇田もなりさん

前述の通り、星野みちるさんは初めてだったのですが、歌の柔らかさがとても印象に残りました。そして、表現の仕方がいいなぁと思いました。オリジナル曲もカヴァー曲も、自身が持っている世界をとても大事にしていて、それを丁寧に丁寧ににじみ出してくれるような感じ。ふんわりとしているようで、どこかにしっかりとした芯があるようで。新しい宝箱を見つけたような気持ちです。どの曲が強く印象に残ったかというのは、ごめんなさい。この記事を書いている時点ではアルバムが目下配送中なので書けないのですが、この人の曲はきちんとアルバムを購入して聴いてみたいと強く思ったのは確かです。ちゃんとアルバム聴きます。

脇田もなりさんをソロで聴くのは、インストアを含めるとこれが4回目になります。オープニングの”Cloudless Night”でがっつり掴んでくれるところがすごい。この曲はインドネシアのバンドIkkubaruの手によるもので、もなりさんのヴォーカルをフィーチャーしたものなのですが、しっかりと自分のものにしているところと、聴くたびに進化している彼女の声との結びつき具合がすごい。初めて聴いた4曲の中にはアシッドジャズやグランドビート寄りのテイストが含まれているものもあり、Talkin’ Loudレーベルの面々やThe Brand New Heaviesを必死に追いかけていた世代にとっては直球を投げ込まれたような感じ。また歌声の振れ幅が広がったようで、でもその声は彼女のもの以外のなにものでもないというぶれない軸があって、すごいなぁ、と思うばかり。

ちょっと前(といっても20年くらい前ですが)にガールポップシーンというものがあったような気がするのですが、ひょっとしてこのふたりが新しいガールポップのかたちを作ってくるのでは? などという勝手な想像をしてしまったり。書き過ぎかもしれませんが、それだけグッときて歌声を心底、本当にシャワーを浴びるかのように楽しむことができたライブだったのでした。

この師匠ともったんの2マンライブ、定期的にやってもらえると、世界の広がりが楽しめてとても良い形に進化していくんじゃないかと思いました。

本当に楽しかった!

脇田もなりさんのセットリスト :

  • Cloudless Night
  • 赤いスカート
  • あのね、、、
  • Irony
  • LED
  • est est est (初披露)
  • I’m with you
  • Boy friend (Extended mix)
  • IN THE CITY (アンコール w/ 星野みちる)
カテゴリー: 未分類 | タグ: , , | コメントする

macOS Sierra 10.12.4 + GyazMail 1.15.17でメールを返信する際の不具合について

2017/3/28にmacOS Sierra 10.12.4がリリースされましたが、その直後からGyazMail 1.15.17で、受信した特定のメールの返信メールを作成する際に、不具合が出ています。開発者の方から許可をいただきましたので、現在わかっている現象を記述します。

現象

受信したメールのContent-Typeが“multipartであり、以下の条件に該当する場合に、[環境設定…] > [作成] > [返信]タブの[返信時に元のメッセージの本文を引用する]チェックボックスをOnにしていても、作成した返信メールに引用が反映されない。

現在判明している条件

  • 返信しようとしているメールのContent-Typeが“multipart/alternative” “multipart/mixed”“multipart/related”のいずれかであること。
  • 返信しようとしているメールがGoogleのMTAを経由していること。
  • 返信しようとしているメールがGmailのWeb UIかスマートフォン向けのMUAで作成されたもの。
  • 返信しようとしているメールがApple Mail、iPad Mail、SparkなどのMUAで作成されたものであっても、Text partのcharsetによって再現性が変わる。(Text partのcharsetが“utf-8”であれば再現しない?)

回避方法

  1. 該当するメールのメールビューワを開いた後、[表示] > [HTMLの内容を隠す]を選択してから[返信]ボタンをクリックするか、[Command] + (Shift) + Rキーで返信メールを作成する。
  2. [環境設定…] > [キー割り当て] > [その他のキー]プルダウンリストを選択して、”HTMLの表示/アイコン表示の切替”に対してキーコマンドを割り当てる。

原因

詳細は判明していませんが、macOS Sierra 10.12.4と同時にUpdateしたWebKit(HTMLな

GyazMailのキー割り当て設定

GyazMailのキー割り当て設定

どを解釈して画面の表示をつかさどる、Appleが中心となって開発しているオープンソースのHTMLレンダリングエンジン)に、何らかのおかしな修正が加えられた可能性が高いようです。(一部のWebサイトでも、macOS Sierra 10.12.4にUpdateした後に表示がおかしくなっているものが見受けられました)

macOSのコアに近い部分が更新されたために生じた互換性の問題による、かなり重い問題であるため、修正までにはかなりの時間を要するようです。また私が切り分けた限りでも、MUA、使用しているテキストエンコードの形式、メールのContent-Typeの組み合わせは様々なので、調べきれないのが現状です。

開発者の方から、同様の問題に遭遇した際に、以下のメールアドレス宛に情報を送って欲しいとの連絡を頂いています。

mailto:gyazmail@gyazsquare.com

情報を送る際には、以下のPointを押さえることを忘れずに。

  • 使用しているOSのバージョン(OS X Yosemite, El Capitan向けにもSafari 10.1がリリースされているため、macOS Sierra 10.12.4以外のバージョンでも同様の問題が発生すると考えられます)
  • 問題が発生した受信メールのContent-Typeヘッダ情報([表示] > [全ヘッダ表示]で確認できます)
  • どのサーバを経由して送られてきているかの情報([表示] > [全ヘッダ表示]から、Receivedヘッダの情報を確認してみてください)
  • GoogleのMTAを経由しているかの情報([表示] > [全ヘッダ表示]で表示させたヘッダ情報の中に、X-Gm-Message-Stateヘッダが存在していれば、確実にGoogleのMTAを経由しています)
  • 受信メールがどのようなMUAを使用して作成されているかの情報([表示] > [全ヘッダ表示]から、X-Mailerヘッダ、またはUser-Agentヘッダの情報を確認してみてください。ただし、一部のMUAではこのヘッダを出力しない場合があります。Sparkを使用している場合はX-Readdle-IDヘッダが存在するはずです)

検索エンジンからこの記事にたどり着いた方々が、GyazMailが好きで使い続けていることを祈りつつ。

カテゴリー: 未分類 | タグ: , | コメントする

脇田もなり生誕祭@Vivid Sound Studio

さて、何から書き始めればいいのやら。とにかく書いていきましょう。

まず、改めて脇田もなりさんを知ったきっかけから。

2014/2/23の代官山LOOPでのライブに、ほとんど事前の情報を仕入れていない状態で聴きにいき、ライブの後、同行した人から「誰が気になりました?」と問われて、「白いセーターのボブの子が気になりました」という風に答えたことははっきりと覚えています。つまりその時点で彼女の名前すら知らなかった、そこがまぎれもなく自分にとってのスタートラインになります。

あの世界って、古参と新参という経験値の違いがあるので、古参の人のことを思うと、感じた印象をなかなか書きものには出しにくいなぁという気持ちは正直ありました。だってそれまで彼女達をファンという立場で支えてきてくれたわけですから。そこは敬意を払いつつ、書いていこうと思います。

脇田もなりさん

生誕祭ライブで歌う脇田もなりさんの、ふとした表情

僕は曲がりなりにも、下手くそながらもViolaという楽器を通じて音楽を続けてきているので、「歌が好き」とか「音楽が楽しい」っていうことを口に出すことって、結構勇気がいることだったりすると思っています。演奏とかライブとかって、ある意味結果というか作品みたいなもので、その裏にはもちろん到るまでの道のりがあるわけで。そんなこと言われなくても分かっているよってツッコミを大量に喰らうくらいに当然のことなのですが、その道のりのことを考えると、音楽を歌ったり演奏したりすることを「好き」とか「楽しい」ということって、すごく純粋な表現だけれどもすごく重くて、なかなか言うことが難しい。

なので、「好き」「楽しい」と言う意味の表現を、素直に歌や言葉で表したことに対して、すごいなと思いました。

「生誕祭」と名付けられたイベントに行くことが初めてだったので、どういう展開になるのかなと思っていたのですが、既に発売・公開されている楽曲から、ソロデビュー後の活動の足跡を、久保田泰平さんと振り返りながらの対談を挟んで、アコースティックな形式でのカヴァーを4曲披露し、2017/2/15に発売される”赤いスカート”と、ライヴ中心の形式。お祭りというよりも、22歳になった彼女の今の姿をしっかり観せてくれる充実した内容でした。

僕のようなクラシック界隈の人(アマチュアですけれども)にとって、楽曲を演奏することって、言わば作曲家による作品のカヴァーを続けているようなものと言えると思います。譜面に書かれている作曲家の指示、例えばAdagioとかAndante con motoとかの原則を守りつつ、指揮者や演奏者の解釈によって自由度を生み出しているわけです。自分の曲を自分の解釈の中で自由に演奏できることって、多くはないわけです。

クラシック以外のジャンルには、自分の持ち曲を自由に表現できるのはもちろん、他のアーティストの作品を自由にカヴァーすることができるという強みがあります。脇田もなりさんはアコースティック・ライヴの冒頭で

私は17歳で歌い始めて、楽曲にはずっと恵まれてきたんですけれども、歌唱で勝負したことは一度もありませんでした。

という前置きをしました。そこから始まった4曲のカヴァーは、思わずじっと聴きいらずにはいられないものでした。勝負しているなと。今の脇田もなり像をしっかり観させていただきました。自由で、伸びやかで、芯があって、言葉にならない何かを訴えかけてくれるようなものがあって。

あ、完全に解き放たれたんだな。と思いました。「脇田もなり」の世界を自由に表現してくれているなと。

きっと、本当に「楽しくて」「歌うことが好き」なんだな。

そんな、この先どこまで伸びていくかわからない現在進行形の姿を、2時間半という時間の流れの中で体感できたことがすごく嬉しかったです。

新しい地平線に立って、彼女の良さを見出してくれる環境と出会って、良いスタートを切って、そこから自分の歌いたい歌の世界をどんどん開拓していってほしいし、きっと今の彼女のモチベーションは、本当にどんどん開拓していっちゃうのかもしれない。頑張ってついていかないと取り残されそうなくらい。

いや、なんだろう、嬉しい。本当に嬉しい。

カテゴリー: 未分類 | タグ: , | コメントする

脇田もなりさんインストアライブ@HMV record shop 新宿ALTA

Especiaの卒業からかれこれ半年以上、きっとソロシンガーとして独り立ちしてくれる時が来るだろうと待っていた脇田もなりさんが満を辞して2016/11/16(Wed)に「IN THE CITY (CD & 7-inch Vinyl)」でソロデビュー。その前後からライブやイベントが頻繁にあったのですが、仕事の都合でなかなか行くことができず。ようやく2016/11/20(Sun)のHMV record shop 新宿ALTAでのインストアライブで生の歌声を聴くことができました。

ソロデビューということなので、とにかく歌声がどのくらい変化しているんだろう、というところを楽しみにしていて、音源を聴いた時にはミックスの関係なのか、少しストレートな感じになったかな、と思ったのですが、やっぱり生の歌声を聴くと、彼女がもともと持っている良い部分に加えて、進化している! と感じたのでした。

脇田もなりさんの「IN THE CITY/あのね、、、」

脇田もなりさんの「IN THE CITY」

一番印象的だったのは、高音域。なんとなくパワーで押していた部分が、自然とすんなりと聴こえるようになったと思います。それでいて声量の豊かさと、ここぞという場所でのシャウトに近い力強さは、彼女がもともと持ち合わせている特徴的な部分がきちんと出ていて、聴いていてとても気持ちが良かったです。「ライブ行け行けオジサン」が行けというのも頷けます。

ソロとしての振る舞い方はこれから場数を重ねていくことできっと、もっとこなれてくるのではないかと思いますし、それよりも何よりも、ひとつ何かから(ひょっとして、関西発という縛りからなのか?)解き放たれたかのような、自由な空気がうかがえて、今あるポテンシャルの中で目一杯、歌うことを楽しんでいる風にも見えました。

「IN THE CITY」はいっときのOriginal LoveやPizzicato Fiveのような空気を感じさせてくれて、Ikkubaruとコラボレーションしている「Cloudless Night」や「あのね、、、」はAcid JazzやGrand Beatの匂いが。中高生の多感な時期にこういう系統の曲を浴びてきた自分からすると、ツボにはまりまくっています。逆にそれだけの振れ幅のある曲でもきちんと歌っていけるってことなんですかね。

とはいえ持ち曲がまだ3曲ということなので、これからもっと楽曲のレパートリーを増やして、これまで歌ったことのないジャンルの曲にも挑戦してくれると、良い感じに化けるんじゃないかなと思います。

朝、自宅でMacBookにヘッドフォンを繋げて聴いていたのですが、子供が片耳を横取りして一言、「この人、歌上手いね」と言っていたのにはびっくり。子供なりに上手さとかわかるのかなぁと思いつつも、子供はこういうものに対して感想を素直にぶつけてくるものなので、きっと、子供なりに直感で言っているのだと思います。

きっと、これからもっともっと伸びていくことをすごく楽しみにしています。幸せな45分間でした。

どんな歌を歌っているのか気になる人は、こちらをどうぞ。 : MV 「IN HTE CITY」をYouTubeで公開しました | 脇田もなり

カテゴリー: 未分類 | タグ: , | コメントする

MacBook 12-inchのトップカバーを修理

MacBook (Retina, 12-inch, Early 2015)は今や必携のツールとなっています。朝の通勤電車の中でのルーチンとなっているメール書きはもちろんのこと、現在勤務している会社はBYODが基本なので仕事にも使いますし、プライベートでは所属している市民オーケストラのWebサイトのメンテナンスにも使います。

そういうわけで、かなりバリバリと使っていたのですが、半年前あたりから、どこか特定のキーが効かなくなっては元に戻るという状況が繰り返して発生し、その度にちょっとおかしいなと気になってはいたのですが、よりによってパワーオンキーが動作しなくなり、何かの拍子に誤ってFinderから「システム終了」を選択してしまい、起動しない! という状況に。

こういう時はパワーマネジメントに関わる部分に問題があるのだろうという勘が自動的に働いたので、まずは「MacのSMC(システム管理コントローラ)をリセットする – Appleサポート」に従って、「左shift + option + control」キーを押しながらパワーオン。しかし起動せず。MacBookのトップカバーについてはパワーオンキーとその他のキーとは別回路になっているという話は聞いていたので、これはもう、トップカバーになんらかの問題が起きたな、と思い、同様の現象を探してみたところ、「MacBook (Retine, 12-inch, Early 2015)が起動しない! | Mac弁@lawyerhaluのブログ」と全く同じことになっておりました。

ああ、修理か。。。と思いつつ、1勤務先から一番近いApple Store  表参道のGenius Barを予約。

で、うんともすんとも言わなくなったMacBookを電源から外してしばらく放置し、再度接続してからSMCコントローラのリセットをしたところ、何故か起動! よくわからん。。。何れにしてもトップカバーの問題の確率が限りなく100%に近くなったことは確実。

後日、Apple Store 表参道へ向かい、Geniusの方に一通り遭遇している事象と切り分けの経緯を伝えて、診断に。command + D起動ではハードウェアの故障は検出されず。そしてシステム終了後のパワーオンキー押下で起動しないことも確認。これは確実にトップカバーがやられちゃってますね。と。

トップカバー交換前のMacBook(Retina, 12-inch, Early 2015)

トップカバー交換前のMacBook(Retina, 12-inch, Early 2015)。預け入れ前にTime Machineで直近のBackupを取得。

ただMacBookがメインマシンとなっているので、使えないと困りますよね、とGeniusの方が言って、スタッフルームへ引っ込みました。中を開いたりする時は大概奥に引っ込むので、何かしらをやっているんだろうな、と思いながら待つこと数分。起動したMacBookが登場。何気なく聞いてみたところ、やはり強制的に放電を行なったそうです。これで、システムを終了させない限りは曲がりになりにもMacBookは使える状態にはなりました。部品取り寄せができればGenius Barでの修理が対応可能ということなので、その手続きをしてもらい、部品入荷後に再来店ということで、その日は終了。

そこから数日して部品入荷の連絡が入ったので、まずはApple Store 表参道近くのStarbucks Coffeeで直近のBackupを取得。トップカバー交換でSSDの中身が消えるということはあり得ませんが、念には念を入れて、ということで。その後Apple Storeに移動してMacBookを預け入れました。予定では2〜3日間の修理時間は必要ということなので、自宅に代替環境もできたことだし、仕方がないでしょうということで、預けて待つことに。

トップカバー交換後のMacBook (Retina, 12-inch, Early 2015)

トップカバー交換後のMacBook (Retina, 12-inch, Early 2015)。キーボードまで綺麗に。

所用を少し済ませて夜に帰宅したのですが、帰宅直後に「修理が完了しました」というメールが! なんだ、即日修理できるんじゃん! ということで、修理引き取りの場合は事前にGenius Barを予約しなくても受け取ることができるので、翌日にまた表参道まで出向き、実質24時間でMacBookが綺麗な状態で手元に戻ってきました。めでたしめでたし。

可搬性を重視して、稼働部品ができる限り少なくて軽量なものを、ということでMacBookを選択したのですが、稼働部品が少ない分、トップカバーには全体として重量の負荷がかかりやすいそうです。なので、ハードカバーをつけるだけでも負荷は軽減されますよ、とのこと。

Genius Barでの対応に関しては色々な意見を聞きますが、今回のケースでのApple Store 表参道のGeniusの方の対応は、皆さん完璧だったと思います。待ち時間のコントロールや問題の切り分けと対応案提示の速さ、Macが使えないというリードタイムをできるだけ少なくするための納期調整まで、的確にやっていただくことができました。全国の Apple Storeで行なっているかどうかはわかりませんが、表参道ではGnius Barでの対応までに時間がかかることが見込まれる場合には、チェックイン時に伝えた携帯電話番号に、対応時間になったらSMSを送ってくれるサービスをしてくれるので、店内でぼんやり、ではなく、待っている間に別の用事を済ませることもできました。

気軽に持ち歩けるからこそ、大事に扱うことを心がけなければいけないですね。自分の使い方に一番フィットしているものなので、その分だけ丁寧に取り扱うように工夫をするようになりました。

 

カテゴリー: 未分類 | タグ: | コメントする

MacBook 12-inchでApple USB SuperDriveが利用できない現象への対処方法

現在唯一のメインマシンとして使用しているMacBook (Retina, 12-inch, Early 2015) 8GB Memory / 256GB SSD。過去にMacintosh PowerBook Duoシリーズを、230 → 280c → 2300cと使い続けてきた身としては、拡張性について最低限の機能を持っていれば良いと割り切る代わりに、軽量さと可搬性の良さを重視していた点では願ったりかなったりの機種で、現在もあちこち持ち歩きながら使い倒しています。ただし、1点だけ問題がありました。

Apple USB SuperDriveが利用できない。正確に言うと、「どうやら外付けのドライブ装置として認識されているのだが、光学ディスクのマウントができない」という状況でした。

システム情報

Apple USB SuperDriveが認識されている

実際に、[アプリケーション] – [ユーティリティ] – [システム情報.app]を開いて、Apple USB SuperDriveが認識されているか確認してみると、ちゃんと認識されているんですよね。なので、全く利用できないわけではないはずなのです。ちなみに、Apple USB SuperDriveにはUSB-C USBアダプタを介して接続しています。

Apple USB SuperDriveは、妻が所有しているiMac (21.5-inch, Late 2012)に接続されていて問題なく使用できていることと、Appleの製品ページではシステム条件にMacBookが対応機種になっていないことも踏まえて、ダメ元でApple Store 銀座のGenius Barに持ち込んで検証をお願いしてみました。

執筆時点でのOS XのバージョンはEl Capitan 10.11.4 (Build 15E65)です。

  • Genius Barで用意しているApple USB SuperDriveを接続して検証 → マウントできず
  • Genius Barで用意しているUSB-C USBアダプタに変えて検証 → マウントできず
MacBookにCDがマウントされた状態

MacBookにCDがマウントされた状態

ここでうーん、と考えて、自分のUSB-C USBアダプタを介してMacBookとApple USB SuperDriveを接続し、光学ディスクを挿入した(マウント直前の)状態でMacBookを再起動しました。すると、再起動と同時に光学ディスクが挿入・マウントされ、デスクトップ上にアイコンが表示されるではありませんか。というわけで、

MacBookとApple USB SuperDriveを利用して光学ディスクをマウントするためには、あらかじめMacBookとApple USB SuperDriveを接続し、光学ディスクを挿入した状態でMacBookを再起動する。

ということで、ワークアラウンドとしては解決。これで音楽CDを自分のiTunesに取り込みたい時も、最終目的は達成できるようになりました。

担当してくださったGeniusの方曰く、ドライバかファームウェアの問題なんですかねってことでした。対象機種になっていないので使えませんと簡単に断らずに、じっくり検証してくださったGeniusの方に感謝。

ちなみに、「外付けのApple SuperDriveをMacBook AirやMac mini以外で使う方法 – ブログ@yamafd」では、環境設定ファイルを編集してApple USB SuperDriveを使用できるようにする方法も紹介されています。自分はこの方法は検証していません。限りなく理想に近い方法ではあるのですが、root権限を取得することによるリスクだけ、考慮する必要があります。まぁ普段使いにおいてroot権限を利用してMacを操作することはほとんどないのですが。

OS Xのインストールも含め、ソフトウェアインストールやコンテンツの導入もインターネット越しで簡単にできるようになったとはいえ、音楽CD(特にクラシック系)の取り込みにはまだまだ外付けCD/DVD SuperDriveの存在は不可欠なので、Appleには根本的な解決をお願いしたいところです。同じような事象に困っている人がいたら、「外付けCD/DVD SuperDrive – フィードバック」に意見を送りましょう。真剣に対応してくれるかはApple次第ですが、フィードバックの件数が多ければ多いほど考えてくれるかもしれませんから。

追記 :

Apple サポートが出している記事「Apple USB SuperDriveを使えるMacコンピュータ」によると、どうやらファームウェアのバージョンによって使えるものと使えないものがあるみたいですね。ただ指示通りにファームウェアのバージョンを確認しようとしても情報が出てこないという問題が。

カテゴリー: 未分類 | タグ: , | コメントする

山形交響楽団 第251回定期演奏会

「月山を越える」

NH395 HND → SYO

NH395 HND → SYO

これは僕にとって、山形交響楽団の定期演奏会を聴くにあたってなくてはならないイベントとなりました。僕はこれを勝手に「儀式」と呼んでいます。羽田空港から一旦庄内空港へ飛び、山形自動車道〜月山道路〜山形自動車道と東に進路をとって、山形市のある村山地方へと入っていく。そのようにして、自分の身体を「山響モード」に馴染ませていくのです。

これを繰り返してかれこれ3回目となりました。

2016年3月5日の山形交響楽団 第251回定期演奏会のメインはブルックナー 交響曲第2番 ハ短調 WAB102 (1877年第2稿・ギャラガン校訂版)。タクトを振るのはもちろん、音楽監督の飯森範親さん。

素晴らしい演奏を目の当たりにすると直後に言葉を失ってしまうというのは、どうやら本当のようです。4型編成とは思えない弦楽器の重厚な響きと明確な意志を持った木管楽器の音色、そして、金管楽器のダイレクトに押し寄せる波。それらが一体となって大きなうねりのようにして押し寄せてきて、その圧倒的な存在感に、何度天井を見上げたことか。第1楽章からやられっぱなしでした。音の粒が一つ一つ、鮮烈に身体の中に入り込んでいくような感覚。

「ブルックナー終止」も、彼の音楽の一部としてきちんと意味を成し得ていました。一瞬の濃密な静寂。

ブルックナーは尊敬するワーグナーの姿を追い求めながらも、自身が理想としている響きを作り出そうとして、それを譜面の上に表現していったんでしょうね。事実、この交響曲以降、最低でも第7番までは、スタイルがぶれずに継承され続けています。響きがとても重要。そして山響はきちんと咀嚼して、聴き手に「なにか」を残すために、テルサホールの空間でさえも味方につけて、目一杯の世界観を僕たちにもたらしてくれました。渾身の演奏でした。

交響曲第8番と第9番は演奏せずに、ブルックナー・チクルスは一旦幕を閉じるそうです。そういう意味でも、最後に敢えて第2番を持ってきたというのはとても大きいと思います。遅咲きなブルックナーがずっと追い求めてきたものの原点がここにあるんだということを、僕たちに気付かせてくれたような気がします。

これ以上、この演奏に対して何か言葉を紡ぎだそうとしても、上手い言葉が見つかりません。

終演後、テキストベースで日記を書き始めた頃から親交を続けさせていただいている工藤春奈さんとお会いして、ふたりしてしばらく無言の状態で、ロビーの椅子に座り込んでいました。

東京のオーケストラの演奏に接する機会も多々ありますが、山形交響楽団のプレゼンスというのは、単純に「地方オケ」という切り口だけで切れない独自性があります。そして山響の音楽を通じて、「音楽はいきものである」ということを、いつも再認識させられます。テルサホールの中に、いきものがいるんです。いや本当に。

そして、春奈さんとの語らいの中で、自分の在り方を再認識することができました。ああ、間違ってはいないんだなと。

だからこそ、「月山を越える」という儀式を繰り返すのです。きっと、これからも。

カテゴリー: 未分類 | タグ: , , | コメントする

「3.11以後の建築」展@水戸芸術館現代美術ギャラリー

旧知の建築家の方から招待券を譲っていただくというご厚意に預かり、2015年11月7から水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催されていた「3.11以後の建築」展を、スケジュールの都合をなんとか合わせて会期末に観てきました。

展覧会の趣旨としては、名前の通り、2011年3月11日に発生した東日本大震災を受けて、建築家の建築に対するアプローチがどのように変わったのか、21組の実例を通じて問いかけよう、というものでした。

建築学を専攻していた身として、例えば卒業設計ひとつをとっても、デザインのあり方やその背景にある個人としての理念、こういう風に使ってもらえばいいんじゃないかという思いを、いわば一方的に図面やプレゼンテーション上に表わしていたような記憶があります。要求仕様を勝手に想定して、それをデザイン化していっていたので。もちろんデザイン化の過程において教授や研究室の先輩や同級生達とのレビューの場はありましたが、施主が存在しないので、ああしたらいいんじゃないか、こうしたらいいんじゃないかということをデザインする立場として議論していたような気がします。

「3.11以後の建築」展

「3.11以後の建築」展

卒業以降も書籍や実際の空間を通じて建築家の作品というものに触れてきましたが、施主という使い手の存在があり、当然施主と建築家との間で空間の使われ方や求められている要件が存在していて、それを実際の建築物として具現化するというプロセスが存在することは認識していましたが、それがパブリックになる際に、建築家の理念やデザインのあり方の方がどうしても前面にインプットされてしまい、使い手がどのようなものを求めていたのか、それが実際にどのように使われているのか、そのプロセスを含めた部分が、なかなか見えてこなかった部分があったんだな、ということに振り返りという意味合いで気付かされました。

作品の中では坂茂さんの、東日本大震災発生後の避難所生活におけるプライベート空間確保のための仮設パーティション構築事例はなるほどと思わされました。完全な外部調達資材としては、板さんのお家芸でもある紙管のみで、パーティショニングに必要なその他の資材はガムテープ、布、安全ピン(!)といった調達がたやすいものといった具合で、それらを組み合わせることにより、避難所の「使い手」である、避難されていた方の「集団生活の中でも少しでもプライベートな時間が欲しい」というプリミティブな要望を満たしていたわけで、単純に区切られた真四角な領域でも、立派に空間として成り立っていたことです。また同じく坂茂さんの事例としては、東日本大震災の1か月前、ニュージーランドのカンタベリー地震で倒壊したクライストチャーチ大聖堂の代替とする聖堂の計画と作品。半仮設という前提はありながらも、祈りの場として使い手から何が求められているのかをヒアリングし、シンプルでありながらも明快な解決方法によって具現化したもので、とても興味深く見させてもらいました。

その他様々な事例が展示されていたのですが、そのどれにも共通していたのが、「使い手」という現場に寄り添う姿勢と、プロフェッショナルとしての上からの目線が、うまくマッチングしているなという点でした。多分そのバランス感覚のどちらかが不均衡になってしまうと、最終的にみんながWin-Winな成果と満足を得られるものは、なかなか上手くはできないのかなと。これはきっと、建築の世界に限らず、様々な業種の仕事にも通じることなのではないかと思います。

同時に、デザインというものの本質が何なのだろうかという永遠の問いかけのようなものも浮かび上がりました。単純に美しかったり格好良かったりするものは、芸術的な視点では高評価されるのかもしれませんが、それが「実際に使われるもの」として果たして正解かどうかというのは、必ずしもマッチングしないのではないかということです。この点は常に頭の片隅に入れておかなければいけない問題なのかもしれません。

建築という切り口ではありましたが、それを媒介として、自分が普段取り組んでいる様々な課題に関しての勉強の場となり、また考えるきっかけを与えてくれた展覧会でした。

カテゴリー: 未分類 | タグ: , | コメントする