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2001-05-26 〜 2001-05-28 Osaka・Kyoto

ことの始まりはいとこが結婚すると言うことを知らせる、父方のおじさんからの1本の電話だった。結婚すると言うことはとてもおめでたいこと。しかも相手(旦那さん)は関西の人で挙式は大阪で執り行うため、こちらからの参加者が少なくて困っていると言うこと。それならばと言うことで、我が家の家族は全員結婚式と披露宴に参加させてもらうことに。

とはいえ全員参加するためには幾らか障害となる事項があった。それは、妹が美容師であるために休みがどうしても1日しか取れないと言うことと、我が家の飼い猫をどうするかと言うこと。

あれやこれやと相談した結果、妹は僕が付き添って東京発最終の「のぞみ」で大阪に向かうこと。そして、飼い猫は可哀想だけれども、1晩だけ留守宅を守ってもらうこと。どうせ関西に向かうんだったら有給休暇をもらって初夏の京都を楽しんでこようと有給休暇を取得。

というわけで、結婚式と披露宴の参加、それからおまけの京都旅行が始まった。

2001-05-26 (Sat)

こまごまとした家の用事を済ませ、飼い猫の御飯と水を用意してから飼い猫に、行ってくるから1晩だけ我慢してくれと詫びを入れて自宅を出たのが18:30。バスと総武線を乗り継いで妹とは千葉駅で待ち合わせ、そこから快速電車で一気に東京へ。妹の仕事が延びることを考えて東京駅での乗り継ぎ時間は1時間とってあったのだけれども、妹があっさり仕事を終えて千葉駅に登場したので、中途半端に時間が余る。

取りあえず簡単な夕食をとって、書店で本を買い込み、妹がアクセサリーショップの様なところで何やら物を買い、取りあえず準備はOKと言うことで新幹線ホームへ。

21:18 のぞみ69号が東京駅を出発。

東海道新幹線にはもう数え切れないくらい乗っているけれども、のぞみに乗るのは初めてだし、こんなに遅い時間に乗るのも初めて。妹は窓際の席でトランスを聴きながらぐうぐう眠っている。そりゃそうだ。毎日ハードな仕事をしているんだから。

僕は書店で買った妹尾河童の「少年H(上)」を一気に読む。集中して読んでいたためか、気が付くといつの間にやら米原を通過している。僕の本を読むスピードが早いのか、はたまた、やっぱりのぞみだから早いのか。京都を出発したところでi-modeから乗り継ぎの電車の時刻を調べ、荷物を網棚から引っ張りだした。

23:48 新大阪着。i-modeによれば、乗り継ぎの電車は23:53発の地下鉄御堂筋線なかもず行きか、23:54発のJR京都線新三田行き。ちょっとでも早い方がいいかなということで地下鉄に乗り換えることを決め、構内を走る走る。ところがすぐに来るはずの地下鉄が全く来ないどころか、電光掲示板には最終の文字が。おかしいなと思って時刻表を見てみたら、23:53発なんて存在していなくて、次に来るのは0:01の最終電車。あー、やっちゃったと思いながらも最終電車があるからまぁいいかということでそのまま待ち、最終電車に乗り込む。

0:05 梅田着。そのままホテルへ。僕は先に着いていた父親を同じ部屋に泊まることになっていたのだけれども、一応起きて持ってくれているのかと思いきや、ぐうぐう寝ているじゃないですか。ひどいやっちゃなーと思いつつ、腹が減ったという妹のために一旦ホテルを出てコンビニに行き、簡単な御飯を買ってきて母親の部屋で少し食べた後、そのまま着替えてベッドへ。深夜に着くと異様に疲れているのはどうしてだろう?

2001-05-27 (Sun)

8:00 父親に起こされる。これから朝食を取りに行くのだという。仕方ないなぁと思いながらごそごそ起きだし、着替えてレストランへ。テンションが低いしとにかく眠い。朝は大抵テンションが低いのだ。

レストランは予想よりも多くの人で溢れていた。そしてなぜかスポーツウェアの外国人が多かった。どうしてだろうと思ったら大阪はちょうど東アジア大会の真っ最中だったことに気が付いた。

10:00 式場となっているウェスティンホテルへ移動。親族待ち合い室には他の親族が到着していて、それぞれ挨拶をして回る。なかには5年近く会っていないいとこもいて、前に会った時には中学生だったはずなのに、聞くともう大学生だという。時が経つのはとても早い。それだけ自分も年をとっているということか。

そのうちに新婦となるいとこが角隠しをして登場。普段でもきれいな人なのに、そういう服装をすると余計にきれいにみえて吃驚する。デジカメを取り出して記念撮影を行い、そして結婚式場へ。実は神前式の結婚式に参列するのも初めてだったりする。三三九度をするというくらいは知っているんだけれども、一体どのような式になるのだろうかと内心わくわくする。

11:30 結婚式開始。越天楽(だったっけ?)が流れ、神主さんが何やら祝詞を挙げるのを聴きながらキリスト教式の結婚式とは全く違うことに気が付く。神主さんが何を喋っているのかが簡単には理解できないのだ。おめでたい出来事を書いているのにこんなものを比較対象に持ち出すのはまずいのかも知れないが、御葬式の時も全く同じである。キリスト教式のほうがまったくもって分かりやすい。

そんなことを考えているうちに新郎新婦が神前へ榊の葉を差し出し、そして三三九度。参列者にもお神酒が配られ、一気に飲み干す。そんなんこんなんしているうちに滞ることなく結婚式が終了。何かしら感極まる出来事があるのかなと思いきや、クライマックスと言うものがどこにあったのか良く分からずに終わってしまった。

結婚式が終了してから披露宴までしばし休憩。飲み物を飲みながら、親戚のおばさんと新郎の話等しながら過ごす。ジンライムを飲んだら大して飲んでいないのに酔い始めて慌てて飲むのを止める。

12:30 披露宴開始。新郎は結婚式に引き続き袴姿で、新婦は白無垢の上に赤い着物を羽織って登場。その姿にしばし見とれ、ハッと気付いてデジカメを取り出し写真を撮る。

媒酌人と主賓の挨拶(長い)が始まる。新郎と新婦の紹介が読み上げられるのだが、披露宴の出席者に新郎の関係者が多いのにも関わらず、新婦の紹介がやけに短い。新婦側の関係者が少ないからこそ新婦の紹介は重要なのではないかと思うのだが、仕方がないのだろうか?そんな挨拶が終了し、ケーキカット。写真を撮らないわけには行かない絶好のポイントであるため、ばちばちと写真を撮りまくる。

そしてしばらくお食事タイム。食事は和風のフレンチと言った感じか。キャビアだのトリュフだのフォアグラだの、普段全く食べなれない食材がふんだんに使われているものの、美味しいものなのだかよくわからない(でもフォアグラは美味しかったかも)。その間に新郎新婦はお色直しをして登場。今度の新婦の服装はこれまた純白のウェディングドレス。またもや見とれる。結婚式や披露宴に参加すると自分も結婚したくなると言うのは、たぶん新婦さんの姿に見とれてしまうからなんだろうなぁとつくづく思う。

ここで新郎の会社の同僚からの挨拶&あまり面白くない余興が入る。面白くないので目の前に出されたフィレ肉のステーキに夢中になる。あれやこれやとお酒を飲んだこともあり、大分アルコールが回ってきたのが自分でも良く分かる。そのうちに新郎のお父さんがテーブルにやってきて、ビールを注いでもらう。少し話をしたのだが、大阪のいいお父さんと言う感じ。あぁ、こういう人ならうまくやっていけるんじゃないかなと思った。
披露宴のクライマックスと言ったらやっぱり、新婦から花嫁の両親に送る言葉だろう。そう、その時がやってきた。式の前には絶対に泣かない等と言っていたいとこだが、手紙を読む声は少し震えていた。そんな声を聴いて、自分もすこしうるっときた。最後に親戚のおばさんが壇上に立ち、いとこにエールを送る。さっきの新婦紹介のフォローをしっかりと入れていた。さすがおばさん!!

かくして披露宴終了。ささっと着替えを済ませてロビーに座っていると、新郎の会社の同僚が「お嫁さん、綺麗な人やなー」としきりに言っている。どうも今日の今日まで、知らなかったらしい。

僕を除いた家族3人はそのまま新幹線で帰るため、見送りに一緒にタクシーに乗り込んで新大阪駅へ。乗り換え時間が少ないため、お土産選びもそこそこに家族を改札口まで送る。やれやれ、いい披露宴だったしこれからはのんびりできるなと思いながら地下鉄に乗り、電車が淀川の鉄橋を渡りかけたところで携帯電話がなる。妹の番号だ。

忘れ物でもしたかなと思い電話に出ると電話の向こうはなぜか父の声。妹がこともあろうに新幹線に乗り遅れたらしい。大阪の人は御存じだと思うが、西中島南方を出発した御堂筋線は淀川の鉄橋を越えるとすぐに地下に入る。もうすぐ地下に入るからとにかく新大阪に戻ると父に伝えると、電話を切り、電車が中津に着くとすぐに、逆方向の電車に飛び乗り、新大阪に着くと案内所に駆け込んで構内放送を入れてもらう。が、5分待っても10分待っても妹は表れない。年のためにホームに出てみたがやっぱり見つからない。となると、もう後続の新幹線に乗ったとしか思えないため、父親にその旨話し、後続の新幹線の東京到着時刻を教えて僕はお役御免。気を取り直して四ツ橋のホテルへ向かう。

結局妹はすぐ後の新幹線に乗って、無事に東京で両親に落ち合えたそうだ。全く、人騒がせなヤツだ。かくして、長い1日がようやく終わった。

2001-05-28 (Mon)

これが普段の月曜日なのであれば7:30くらいに起きて眠い眼を擦りながら都心に向かうわけだけれども、有給休暇をしっかりとっていて、しかも大阪。
のんびりと朝食をとり、通勤ラッシュの収まった9:20頃にホテルを出て四つ橋から四つ橋線に乗り西梅田で乗り換え、阪急梅田駅へと向かう。大阪から京都に向かう時には必ず阪急を使っている。それは、電車の車体の色(マルーン色というらしい)が好きだったり、電車が横一列にずらりと並ぶ梅田駅の光景がやたら新鮮だったり、京都の中心部にダイレクトで行けるから便利だったりと理由は様々。かくして特急に乗り込んで河原町まで約40分、大阪や高槻の街並を眺めながら電車に揺られる。

また行くのかと親に呆れられるくらい京都には通っている。お寺や庭はいつ行っても素晴らしい体験をさせてくれるし、新しいものと古いものがうまく共存している姿が好きだから京都通いはやめられない。今回はここ数カ月ばかり仕事で頭を使い過ぎていることもあり、いい庭をのんびり眺めて過ごそうと考え、四条河原町から205番の市バスに乗り込み、大徳寺へと向かう。

最初に訪れたのは「興臨院」。ここは通年公開しているというわけではないらしく、表門の横には「特別公開」という札がかかげられている。平日の割には人がそこそこやってきていて、特に和服姿の女性が多い。玄関で靴を脱ぎ、そのまま庭に面した縁側に出るとそこはもう別世界。庭に敷き詰められた白砂が夏の入口であることを知らせる太陽光の反射を受けてとても眩しい。縁側に座り込んでしばし庭を眺めながら、普段の仕事のことやら何やらが白砂の中にすぅーっと吸い込まれていくような気がして、自分の中で気持ちが徐々に落ち着いてくるのが良く分かる。一時期「癒し」というのがブームになったけれども、僕はこうして方丈式の庭を眺めることで癒されているのだ。

1時間ばかり庭を眺めたり、方丈の中を巡ったりした後、今度はとなりの「瑞峯院」へ。ここでも和服姿の女性がなにやら集まっている。案内の人に聞いてみると、お茶会をやっているとのこと。なるほど、そういうことなのね。ここの前庭は「興臨院」と同じように方丈式の庭園なのだけれども、「興臨院」では松や五月をうまく借景に使っていたのに対して、「瑞峯院」では岩や苔を絶妙なバランスで配置し、白砂を波状の模様をつけてあしらってひとつの世界を表現している。昔の人の想像力の豊かさにはただただ感心するばかりだ。やはりこうして縁側に座って前庭を眺めながら、しばし静寂のひとときをすごしていたんだろうか。
庭を堪能して玄関に戻ったところで突然住職殿に呼び止められる。

住職殿:「お茶会には参加してきたんか」
僕:「いや、参加はしていないんですけれども」
住職殿:「なんや、せっかくだから参加してくればええのに」
僕:「はぁ、でもこんな格好(シャツ+ジーンズ)で不作法なことしたらまずくないですか?」
住職殿:「作法不作法は姿形で決まるもんやない。君が参加して何かを感じ取ってくれればええんや」

そんなやり取りが続いているちょうどその時、一人の和服の女性がやってきて、住職殿に挨拶をした。住職殿はこれ幸いとばかりに、その和服の女性へ、この人観光できた人なんやけど、お茶会に参加するんで、いろいろ教えたってくれへんか、と説明した。和服の女性の方は表千家の茶道のお師匠さん。どうなるかと思ったらお師匠さんは快諾して下さり、かくして25年生きてきて初めて、お茶会なるものに参加することとなった。

お茶会に招待された人はまず待合に通され、ここで毛氈の上に置かれた箱の表書きと会記と対面することとなる。会記には、お茶会で使用される茶わんや釜、花器、御菓子などの詳細が丁寧に記されており、招待された人間はこのお茶会でどういうものが使用されるのかを詳しく知ることができる、ということをお師匠さんから丁寧に教えて頂く。また、お茶会というのは単にお茶を飲むだけではなく、招待する側とされる側の間での心配りの仕方や、礼儀を学ぶための場であるということを初めて知った。いままでこういう席に参加したことのない僕にとってそれは大きな発見であった。
やがてお茶席に呼ばれて茶室へと入り、お師匠さんにお茶会での正しい御菓子の食べ方と同席した人に対する心配りの仕方等を教えて頂きながら御菓子を頂き、お茶を入れて頂く。

ここでさらに新発見。お茶席でお茶を頂く場合、なぜ茶わんを回して飲むのか?その答えはこういうことなのだそうだ。茶道というのはお茶を通した芸術の集大成、ということは茶わんひとつとってもいいものが、客にとって一番いいところが「見える」ように出される。そうすることで、客はその器の一番いい部分を間近で見ることができる。肝心なのはここからで、間近で見ることができるからといって一番いい部分に口をつける際に、器に歯が当たってしまって傷つけてしまうことがないとは言えない。そうなってしまうと、同じように招待された客が、その器の良い部分を間近で見ることが出来なくなってしまう。だから、器に口をつけるのは一番良い部分からずらした部分で、そうすることが、もてなす側と同席者に対する礼儀であり、心配りなのだということ。

これを聞いてなるほどと思うと共に、茶道のような日本古来の気の配りかたや礼儀というものを、今の生活の中で合理性の名の元に捨ててしまっていやしないかということに気がついた。茶道というのは言わば心の訓練のようなものなのかも知れない。

突然舞い込んできた客に対してものすごい気遣いをして頂いたばかりではなく、思い掛けない大事なことを教えてもらった気がした。一期一会という言葉は良く耳にするけれども、こういう機会をもらえるチャンスがあるからこそ旅行というのは楽しくてやめられない。住職殿とお師匠さんに丁寧にお礼を言って別れたのだが、いまだに感謝の気持ちが忘れられない。

さて、そんな有り難い経験をさせてもらった大徳寺を後にして再び大徳寺前から205番に乗り、金閣寺道で59番に乗り換えて竜安寺へ。ところがやっぱり静寂な場を求めて庭へと向かったものの、5月下旬といえば修学旅行シーズン。縁側には中学生がたんまりと座っているためこりゃだめだと早々に竜安寺は失礼してそのまま徒歩で御室の仁和寺へ。仁王門の大きさを改めて感じながら白書院、黒書院を巡って仁和寺を後にして、御室駅から嵐電に乗り北野白梅町へ出てここから204番で西大路四条へ。ここで新幹線の時間が迫っていることに気付き、西院駅から阪急に飛び乗って南方、西中島南方から御堂筋線で新大阪へ。で、一路帰宅へ。

いい意味でも本当の意味でもハプニングの多い週末だったが、その分感動したりいいものを得たりすることが多かった分、とても良い旅行が出来たのかも知れない。さて、次はどこに行こうか?