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■ Pyotr Ilyich Tchaikovsky :: Symphonie Nr.6 h-moll op.74 "Pathetique"

チャイコフスキー 交響曲第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」

□ 編成

Fl Ob Cl Fg Hr Trp Trb Tuba
3 2 2 2 4 2 3 1
Timp G.C Cyn Trg Vn Va Vc Cb
1   1  
Other
Picc : 1
※ PiccはFl3番が持ち替え。
※ ClはすべてA管。
※ HrはすべてF。
※ TrpはすべてB-A-A-A。

□ 構成

第1楽章 Adagio - Allegro non troppo - etc.
第2楽章 Allegro con grazia
第3楽章 Allegro molto vivace
第4楽章 Adagio lamentoso

□ 解説

チャイコフスキー(1840年〜1893年)にとって最後の交響曲となったこの作品については様々な解釈がなされている。「哀愁の作曲家」ということからも連想されるように彼の性格はとても内気、かつ神経質。さらに当時の帝政ロシアの暗ーい状況を反映しているようにも見える。とまあ一般的にはこういう観点からの解釈が多くなされているようだ。

ちなみにこの「悲愴」という副題はチャイコフスキー自身弟から提案されて一度は採用しようと思ったものの、初演の直前になって譜面上からその文字を消してしまったそうだ。したがって、この副題は彼が亡くなってから再びつけられたものである。

解釈というものは聞き手が連想した非常に勝手なものであって、弾き手が奏でた一音を(それが上手いとか下手だとかっていうのは別として)いかようにも判断できる。というわけで、個人的な「悲愴」の印象を勝手に判断してみようと思う。

第1楽章。ファゴットの旋律で始まる序奏は誰がどう考えても「悲愴」だ。その悲愴感は美しさを内側に秘めたようなセンチメンタルなものではなくて、本当にどんより。やがてヴァイオリンやヴィオラが美しい旋律を奏ではじめるのだが、その旋律も純粋に美しいのではなくて不安ありまくりというか、常に何かに追いつめられているような感がする。金管の絶叫。頭を抱える人間の残像。一瞬の美しい風景が浪々と奏でられるけれども、それはやっぱり過去の思い出に過ぎなかった、という物語。

第2楽章。交響曲第5番でも書いたが、チャイコフスキーは「ワルツの神様」、であるはず。チェロが不安で切ないメロディーを奏で、調は長調に転じて一見華やかさをちらつかせつつ、なのに3拍子でもなく、6拍子でもなく、5拍子。踊ってみたいんだけれども、しかし踊ることができない。このもどかしさというか哀しさというか、これもまたひとつの「悲愴」の形なのかもしれない。

第3楽章。スケルツォのような序奏部。木管と弦による軽快な3連符はやがて行進曲風になり、一体この曲のどこが「悲愴」なんでしょう?と思わせるようなほどにずんずんと進んでいいく。トランペットの高らかな響きとチューバの低音。行進の列はどんどんと長くなっていき、オーケストラの響きはまるで巨大戦車のように重くなっていく。けれどもこれもある意味では「悲愴」。もうどうなっちゃってもいいんだ、というようなネクラの明るさというか何というか。火の玉がゴウゴウと飛び交う中、まるで何かに取り付かれたように進む行列、とあるところに達したとたんに火花を散らしてパッと消えてしまう。

第4楽章。どんな人間でも最後は死ぬ。死に行く人の瞳の奥には美しい思い出が走馬灯のように駆け巡っているのかもしれないが、それでも人間は「死」というものに対して悲しみであったり、時には怒りさえ感じることすらある。心音は徐々にか細くなり、やがて最後の1音が打たれる。どこまでも静かな、人間の一生の終わり。

演奏時間 : 約45分