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■ Ludwig van Beethoven :: Symphonie Nr.9 d-moll op.125

ベートーベン :: 交響曲第9番 ニ短調 作品125 「合唱付き」

□ 編成

Fl Ob Cl Fg Hr Trp Trb Tuba
2 2 2 2 4 2 3  
Timp G.C Cyn Trg Vn Va Vc Cb
1 1 1 1
Other
Picc : 1, CFg : 1
※ PiccはFl2番が持ち替え。
※ ClはすべてB管。
※ Hrは1番D-D-B-D, 2番D-D-B-D, 3番B-B-Es-B, 4番B-B-Es-B。
※ TrpはすべてD-D-B-D。
※ Trbは1番Alto, 2番Tenor, 3番Bass。
s第4楽章歌詞全文

□ 構成

第1楽章 Allegro ma non troppo, un poco maestoso
第2楽章 Molto vivace
第3楽章 Adagio molto e cantabile
第4楽章 Finale

□ 曲について

どんなに派手だったり豪華絢爛な交響曲でも、日本ではおそらく一番有名なこの交響曲には負けるだろう。御存じ「第九」。日本では様々ないきさつから年末の風物詩のように語られるけれども、欧米では恐れ多くてしょっちゅう演奏するものではない神聖な交響曲、ということで、滅多に演奏されることはない。文化の違いなんだろうね、これは。

この曲も前出の「運命」と同じように、4楽章の合唱部分だけが大フィーチャーされるが、当然のことながら第1楽章から第4楽章まで通して始めて成立するものだ。余りにも演奏時間が長過ぎて聴く方もそれなりの忍耐を強いられるし、弾く方は恐ろしいほどの体力を使い、歌い手は4楽章までの長い道のりを待つ羽目になる。それでも全楽章を弾き切った時の嬉しさといったら、それは何者にも代え難いものである。

第1楽章。静かな序奏からいきなり一気に盛り上がった末に全合奏で奏でられるテーマ。これがベートーベンの考える、「歓喜ってなに?」という問いかけになる。とりあえず(と、ここでは書いておくことにしよう)このテーマと言うのが第3楽章まで、少しずつ形を変えながらテーマ的に使用される。
問いかけをしてしまった以上、この楽章のなかでベートーベンはいろいろと考えているわけである。歓喜とは一体なんなのだろうかと。もやもやしてみたり、何かしらひらいめいたり、またあるときは苦悩してみたりと。
立派に育てあげようとしていた兄の息子にピストル自殺未遂されてしまったり、腸の病気におかされてしまったりと苦悩の多い彼の人生。歓喜って実は幻みたいなものなのか?中間部の終止でオーボエが静かに語りかける。歓喜の瞬間なんて、人生の中でそうそう巡り会うことができないものなのよと。えーそんなの嫌だと髪を掻きむしったところで再び歓喜のテーマが演奏され、第1楽章終了。

第2楽章。歓喜のテーマが弦4部とティンパニによって奏でられてスタート。そのテンポは、悩むことをとりあえず止めてしまったかのように軽やかである。そんないつまでも悩んでいたってしょうがないじゃん、今を楽しんでおこうよといったところか。物質世界。でも暗い影は密かにまだ潜んでいて、ときたま歓喜のテーマをティンパニが硬質な音色で鳴らすのが印象的である。
疾走するようなスケルツォと、ちょこまかと小走りになるようなコーダが代わる代わる繰り返される。やけに明るいというか、下手をすると生き急いでいるんじゃないの?と思わず心配してしまいそうになるのだが、これもまた歓喜を連想させるひとつの形なのかも知れない。

第3楽章はAdagioという演奏記号が示している通り、これまでとはうって変わってゆったりとしたテンポで展開する。クラリネットが例によって歓喜のテーマを、ここでは長調で奏で、この楽章が穏やかに続くことを予告する。1stバイオリンのメロディや、2ndバイオリンとヴィオラの掛け合いなど、暖炉のそばに揺り椅子を持ってきて、それに揺られながら過去を振り返るといった感じである。ようやく安息の日々は彼の身の上に訪れたのだ。
ホルンのソロをきっかけとしてその幸福な世界はさらに盛り上がり、それはまるで天上の音楽を聴いているかのよう。あぁ、幸せ。
おいおい、そんなに幸せで大丈夫なのかと、トランペットをきっかけにして全合奏で警鐘を鳴らしてはみるものの、いつのまにか幸福の世界に舞い戻り、隠遁のうちにこの楽章は終了する。えっ?もしかして歓喜と言うのはこういうこと?いやいや、まだ先がある。

突然嵐のようなメロディが突っ走り、第3楽章の幸福な世界は一気に吹っ飛ぶ。第4楽章の始まり。嵐のようなメロディで我に返ったのか、チェロとコントラバスが再び自問自答を開始する。「で、結局歓喜ってなに?」
ここで第1楽章から第3楽章までの各テーマがプレイバックされるとともに、こんなやり取りがかわされる。(内容はもちろん予想)

(第1楽章のテーマ)   -- 実はこんな感じだったりして。
(チェロとベース)   「冗談じゃないよ。そんなに暗くてどうするんだ。」
(第2楽章のテーマ)   -- そんなん考えなくてもいいじゃん、人生楽しまなきゃ。
(チェロとベース)   「そんなに刹那的なものではないと思う・・・。」
(第3楽章のテーマ)   -- じゃあ、こんな穏やかな世界は?
(チェロとベース)   「それもありなんだけど、それでは何かが足りない。」

つまり、これまでさんざんあれこれと展開してきた歓喜の世界と言うのはあっさり否定されてしまったのだ。では、本当の歓喜のテーマは?答えのきっかけを作るのは木管達。その問いかけにチェロとベースがそうそう、その通りと応え、静かに序奏を奏ではじめる。そのメロディはチェロ + ベースからチェロ + ヴィオラ、1stバイオリンへと引き継がれる。引き継がれると共に音量は大きくなり、メロディの中心が木管 + トランペットに引き継がれると同時に、最初の「歓喜の世界」が繰り広げられる。あぁ、さんざん悩んだ甲斐があった。この瞬間を待っていたんだ。
が、衝撃と言うのは突然やってくる。またもや嵐のような旋律が走り、「歓喜の世界」は一撃を食らう。もしかして「歓喜」を楽器で語るのは不可能?そんな考えが浮かんだとたん、バリトンがすくっと立ち上がり、以下のような旋律を歌う。

"O Freunde, nicht diese Töne! sondern lasst uns angenehmere anstinmmen, und freunden vollere."
- おお、友よ、このような音ではなく、もっと快いそして喜びに満ちた歌をうたいだそうじゃないか -

これをきっかけとして、今度は「歓喜の世界」が冒頭の合奏のメロディに乗って、独奏と合唱によって展開される。最初に展開した「歓喜の世界」は間違いと言うわけではなくて、より強固なものとするために、「人間の声」こそが必要だと言うわけである。その歌詞はまるで人間愛。ベートーベンも苦労しただけのことはある。ちなみにこれらの歌詞は、シラーの「歓喜に帰す」という詩から出典されているもの。
ひとしきりの盛り上がりを見せたところで一旦幕は暗転し、大太鼓、シンバル、コントラファゴットによる動機とともに、旋律が展開される。行進曲風のアレンジがなかなかお洒落。合唱を一度はさみながら、この旋律は様々な楽器が複雑に絡みながら進んでいく。かの有名なドイツの指揮者Furtwänglerが、「もっと早いテンポで弾けないものか」とばかりに指揮台を足でドタバタ踏みならしたのもここ。ホルンの音とともに旋律は突然静かになり、次の展開を予言している。これだけ歓喜の歌をかき鳴らしていて、もしやまたもとの木阿弥?
次の瞬間、展開されるのはこの交響曲でもっとも有名である、あの「歓喜の歌」である。そう、この歓喜の瞬間のために、自分達はこれまで悩みながらも生き続けてきたんだと。それは終止後に奏でられるトロンボーンの旋律とともに、自分達をこうして生かし続けてくれる、神への畏敬と感謝の念に変わる。ささやくような"strüzt"(ひざまずけ) がこのフレーズをよりいっそう引き立てる。
ここまでくればあとはもう先へ先へと突っ走るのみ。大フーガを奏でた後はただひたすらに人生の喜びと神への感謝の気持ちを、繰り返し音に託し、そして歌に託す。あぁ、素晴らしき哉、人生。その喜びが合唱の中には溢れている。きっとベートーベンもこの曲を書き上げるまでは苦悩の連続だったのだろう、それでも、最後に歓喜は1時間を超える大曲と言う形で、見事に実を結んだのである。

演奏時間 : 約70分